訪問看護部長 植田浩美

日頃より地域の皆様、関係各機関の皆様には大変お世話になり心より感謝を申し上げます。 当事業所は港南台病院を母体として、よこはま港南台地域包括ケア病院(120床)・福祉施設等もグループに有する訪問看護・居宅介護支援事業所です。病院から在宅へと総合的に他職種チームでサポートできる事が強みであります。

「きめ細かい気配りで、地域の方が安心して暮らせる医療の提供」を法人の基本理念として、地域医療、介護、福祉の発展に貢献することを目指しています。

あったかでは、利用者様・ご家族様だけでなく同じチームで働く他職種・同僚にも優しく寄り添える、働きやすい職場を目指しています。

あったかの理念のもと、人が喜ぶ顔が増えるよう、「あったかで良かった」と思っていただけるよう信頼されるサービスの提供を目指します。 地域の皆様が、安心して受診・入院・退院後の生活を送れますよう支援させていただきます。

プロフィール
プロフィール

専門学校卒業後、地域の総合病院に勤務。平成11年から訪問看護師として経験を積んだ後、平成17年あったか訪問看護ステーションを開設。

当時から医療依存度の高い方を中心に24時間365日体制のケアに取り組んできた。

2021年4月に訪問看護事業及び居宅介護支援事業を医療法人裕徳会に承継し、医療と在宅の架橋役として「地域包括ケアシステム」の促進に努めている。

看護師を目指し、いま私が思う事

~出会い~

訪問看護に携わってから20年、日々看護という仕事の素晴らしさを実感しております。私が看護師を目指したきっかけは、中学生の頃に出会った医師と看護師です。地域に一つしかない診療所から、往診に訪れていました。「体調どうですか」「お大事に」と優しく語りかける医師の姿、テキパキと医師の補助やお世話をする看護師の姿に安心感と興味を覚えました。何よりも、病気なのに、いつでもご近所さんが笑顔だったことは不思議でした。そんな出会いから、「人を笑顔にできる看護師になりたい」と思ったのです。

~小児科実習~

少女はがん治療を受けていました。治療の影響で脱毛し精神的に不安定でした。

少女の好きな事って何だろう?食事が少しでも食べられるようにできないか?どうしたら話をしてもらえるのか?必死に考えた実習でした。

話しをしてもらえないという現実に直面し、コミュニケーションの難しさ、憧れだけでは看護師にはなれないことを痛感しました。

みんないつかは誰かの世話になる

~ 私の道標 ~

看護師になり間もないころに、共働きの両親に代わり、私の世話をしてくれた祖母が寝たきりになりました。祖母が望んだ自宅での最期を、母は感謝の思いで介護していました。朝起きると顔を拭き着替える。「母さん、遠慮せんで、世話になったんやけん。みんな誰かの世話になるんや」の言葉は母のお決まりのフレーズでした。母の介護は優しさにあふれていて今も私の道標となっています。

~みんないつかは誰かの世話になる~

私が40歳を過ぎた頃、離れた実家で暮らす母が入退院を繰り返すようになりました。元気だった父にもガンが見つかりダブル介護の始まりです。

母は常に酸素吸入と半日は呼吸器をつけており、身の回りのほとんどに介助が必要でした。ヘルパーや看護師が来て下さるのを楽しみにしていました。

一方、母を気にかけながら頑張っていた父は診断から2年後、81歳で亡くなりました。家族で寄り添えた自宅での最期でした。 そして5年後、「気を付けて帰りよ」と笑顔で見送ってくれた母は帰らぬ人となりました。いつ心臓が止まっても不思議じゃないと言われ続けて10年間、母は84歳まで母らしく生きることができたと思います。

~感謝~

公的サービスだけでは担えなかった私ども家族の苦悩を、共に悩み考えて下さった医師・看護師・介護員・ケアマネジャーの方々、そして職場のスタッフの皆さんの励ましやご協力がなければ介護・仕事・家事・子育てを両立してやりきることはできませんでした。 感謝の気持ちで一杯です。

父母の介護を通して学んだこと、自分が介護者になり見えたことがあります。 本人や家族の望まれる生活が実現することができるよう、これまでの学びを活かし地域医療に少しでも貢献できるよう取り組んでいきたいと思っています。

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